12年前のボランティアのお話

1月17日、忘れもしない神戸淡路に大きな地震があった日。早いもので、あれから12年も経つのです。その頃うちには、青木石を商ってくださるお得意様が神戸に4件ありました。TVから流れる映像を観て、出来た事は心配することだけでした。うちは、あの地震が契機になって、お墓の基礎ということを真剣に考え、現在の基礎工事の形になりました。地震から数日が過ぎ、お得意様に連絡を入れると、皆様無事だということで、一安心。そして、うちの旦那さんの参加している会で、さぬきうどんの炊き出しのボランティアの募集が始まりました。

旦那さん「参加申し込んだけん。誓約書書いてやぁ~」と。もう、文言は思い出せませんが、そこには『ボランティアに参加して万が一、二次災害にあって、命を落としても文句は言いません。』という内容が書かれていました。そして、参加者本人と家族の署名捺印をするところがあり、うちの旦那さんに続いて、私も署名捺印しました。行く人も送りだす方も、まさに命がけだったのです。ボランティア当日、指先も耳も痛いほど冷え込んだ早朝、香川を出発し8時前に神戸着。メンバーは2班に別れ、それぞれの炊き出し場所に向かうことになり、旦那さんの班が目指したのは、湊川神社。その当時、神戸には度々納品に行っていたので、焼け野原の神戸の町の、わずかに残った目印等で、湊川神社には比較的スムーズに着いたそうです。早速、炊き出し準備開始。うどんの暖かさの前に、多くの方々が並び、さぬきうどんは、順番を待つ人たちの手の中に。「ありがとうございます」とお礼の言葉。中には「お金をお支払いしなくて、いいのですか?」と聞く方もいたとか。途中、持参したプロパンガスが寒さのため凍りついてガスが出ないアクシデントが発生するも、1500食用意したうどんを全て作り終え、全員無事に香川に帰ってきました。昨日の早朝の地震をはじめ、度重なる各地での自然災害。何事も起きないようにと、願わずにはいられません。

コメント

  1. まほろば より:

    SECRET: 0PASS: d10670a94a372fbd76ee5ee36a7213a3 ただいま、もどりました・・・。  うちの家内の実家も被災して、家族や親戚など18人が避難して来て、さぬき広島のセカンドハウスで二週間くらいいましたか・・・。水道やガスなどのライフラインが復旧するまででしたか・・。広島にはすっかりとお世話になったです。 そんなことで、電話を復旧することで応援にも出かけたですが、お寺さんや神社は柱が少ない広い建物なので、前向きにつんのめっているのが印象的だったし、灯篭や鳥居、墓石なんぞがバラバラになって倒れているのがすごくこころに残ったです・・・。それと・・・屋根瓦がことごとくずり落ちてしまっていることや、ビルがペッチャンコにつぶれていることとか・・・。 あれから12年が過ぎてしまったのですね・・・。今日、その神戸から戻ったのですが・・・、いま、その当時の面影なんぞはみられずに、見事に街は復興されました。これが、あの・・、震災の街だったのか・・・と、思えるのですが、人の心には今もなお、深い傷跡が残っているように思います。

  2. しわく より:

    まほろばさん、お疲れはでていませんか?確かに心の傷は、いつまでたっても癒えないのでしょうね。今年も雨のなか、たくさんの人が鎮魂の灯りをともしに集まっておいででしたね。主人のいとこが長田だったのですが、被災し明石の親元に非難していたようです。私のいとこは、東灘に住んでいたのですが、ご主人が建築関係だったので、かなりしっかりした家を建てていたらしく、倒壊はま逃れて、自宅で過ごせたそうです。いとこは、現在もそこに住んでいるのですが、何かの時に、違いて分かるのですね。その時分かっても、本当は遅いのに・・・と思います。

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