梨本宮 方子さま

変換 ~ image009↑写真は、朝鮮王朝高宗(コジヨン)国王の第7王子李垠殿下とご婚姻なさった、梨本宮方子さまの婚礼衣装です。方子さまは、昭和天皇の妃の香淳皇后のいとこであり、昭和天皇のお妃様候補でもあった方です。

李正子さまのことは以前読んだ1冊の本で得た知識しかない私がこの時期にここに書くべきではないのかもしれませんが、知的障害児施設「明暉園」(めいきえん/ミョンヒウォン。「明暉」は李垠の雅号)は、方子様の努力なしでは設立できなかったようです。また、方子さまは施設の資金集めに日本においでになり、多くの日本人が協力したようです。その後、精神薄弱児のための「慈恵学校」が創設され、多くの韓国国民から、「韓国障害児の母」として方子さまは、敬愛される存在となり、1989(平成元)年、87歳で逝去されました。近くて遠い国の扉が平成の世になってやっと開いたのに、その扉がまた閉じるかもしれないようなことが、ここに来て次々起こっている。日韓の架け橋となるべくご尽力された李方子(イ・パンジャ)様が生きておいでになったら、どのようにおっしゃるだろう・・・。香川のお墓への納骨のお手伝いも、創業明治34年の塩飽石材へ

コメント

タイトルとURLをコピーしました