両墓制(りょうぼせい)

12月にお世話したお施主様が、佐柳島(さなぎじま)のご出身の方で、お話をしている時に、『お骨を納める墓と拝みに行く墓が、佐柳にはあるけど、 広島は、どうなんなぁ~』と尋ねられました。『私の住んでいた地区では、魂をおまつりお墓と納骨するお墓は一緒です』としかお答えできなかったのですが、11月に西讃地区のお寺に建てさせていただいたお墓が【魂をまつるお墓】だったので、今もまだ香川にそういうまつり方をする地域があることをお伝えしました。

私は去年の11月まで、【お骨を納めるお墓】と【魂をおまつりするお墓】と別にしている地域があるということを、まったく知りませんでした。その後、少しだけ調べてそういう葬り方を両墓制と呼ぶことを初めて知りました。だから、11月にお作りしたお墓には【魂をまつるお墓】だったので納骨室はありません。お施主様曰く『お骨をおまつりするのは、浜の近くにある』のだそうです。うちの旦那さんが『漁師さんは、亡くなったら海に帰る』のだからそうなっただろうといいますが、どうなのでしょうか?確かに、漁師さんは土より海になじみが深い・・・。それにしても、去年はお亡くなった方のおまつりの仕方も、地域によってかなり違うのだと、実感した年でした。

コメント

  1. まほろば より:

     広島も元は両墓制であったと思います。茂浦や青木、市井、甲路、江の浦、立石もそうですが、海岸近くにお墓が並んでいます。本来の埋め墓です。 で、参り墓は山のほうのお寺の墓地周辺に作られています。今度、お寺にゆくことがあれば確認してみてください。 それがいつの頃からか、埋め墓の上に参り墓を建てるようになりました。だいたい、七年経つと、砂が落ち着くのだそうです。 ではなぜ、海岸近くの砂浜に遺体を埋葬したのか・・・。それは、塩飽あたりの人々はインドやセイロンなどの南方民族が海を船で移動してきて住み付いたからなんです。つまりは海上生活者であったのです。時には釣りもしたし、貝も採った。島に上がって木の実も食べたでしょう。 そんな海で生きた人たちは、死ねば海に還るとされたのです。だから、波が来ればさらわれてしまうような場所になきがらを埋めたのだと・・・、私は考えています。

  2. しわく より:

    まほろばさん、確かに広島は海岸の近くにお墓が並んでますね。で、記憶をたどってみると、昭和60年代まで甲路にも土葬?を思わせる埋め墓があったと思います。そして、今その埋め墓のあったところに、石のお墓が建っているので、まほろばさんの、おっしゃるとおりですね。今でも『亡くなった人は土に還したげんといかん』稀に、骨つぼから、遺骨を出して納骨室に撒くことがあります。陸で生きた人が、土に還るり、海に生きた人が、海に還る。人もまた、自然とともに生きていくのが本来の姿なのですね。

  3. しわく より:

    ずいぶん前に書いたスレッドに拍手いただき感謝です。(お辞儀)

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